鉄道の歴史
Ferrocarril Central Andino S.A. (FCCA)= アンデス中央鉄道株式会社
歴史
全長535キロメートルにわたる距離を、19世紀後半に何千人もの労働者が従事、土や木材、鉄などを運搬し、不明な疫病を克服し、現代の機械もなくコンピューターも人工衛星もない中で、アンデス山脈の高地の急斜面を開拓しました。
1851年ポーランド人技師、エルネスト・マリノウスキがリマ-カジャオ間の鉄道をハウハ渓谷まで延長することを提案しました。可能な4通りの経路の中で、リマック川渓谷を選びました。最初の区間はマリノウスキ技師が設計し、アメリカ人ヘンリー・メイグスが建設を担当しました。工事が終わるまでに6年かかりました。
建設
中央鉄道の工事は1870年1月20日に開始されました。チリの海岸部や中国マカオから来たおよそ一万人労働者労働者が建設に携わりました。鉄、石炭、機械類、木材や、イギリス、フランス、北米より輸入した橋などの建設資材の運搬に非常に困難を要しました。
主要人物
ヘンリー・メイグス(1811-1877)
鉄道に関連のあった人物として、第一にアンデスに鉄道を建設に挑んだアメリカ人のヘンリー・メイグスの名があげられます。
エルネスト・マリノウスキ(1818-1899)
マリノウスキは疑いもなく、ペルーの工業発展に重要な役割を果たした人物です。ポーランド出身の彼は、FCCAを支えた主要人物の一人です。
マヌエル・パルド(1834-1878)
パルドは退職してハウハに一時期過ごした際に、フニン州が保有する豊かさを見て、海岸部と繋ぐ必要性を考えました。
現在
1993年、ダビ・サン・ロマンによってカプリ・エナファー社が設立されました。30年間にわたるペルー国内鉄道のための払い下げ計画を提案したものの、6年間の経営を経た後、振興会社フアン・デ・ディオス・オラエチェア・イ・シアが権利を購入、1999年6月12日中央鉄道のオーナーとなりました。
アンデス中央鉄道(株)は1999年、ペルー政府の委託を受け、30年間にわたって国の中央部を走る鉄道の再建、維持、開発を行うとする内容の国の競売に参加しました。この路線はスタンダードな軌間(標準軌)に作られ、大規模な輸送能力を持つほか、地域の観光にも大きく貢献しています。アンデス中央鉄道は1999年9月20日、民間資本金によってカジャオのグアダルーペ駅からセロ・デ・パスコ、ハウハ、ラ・オロヤを通ってワンカヨへと続く中央山脈の広い地域をカバーする鉄道の運行を開始しました。従業員一同お客様に質の良いサービスを提供することが、アンデス中央鉄道の最も重要な理念です。


